1月3日
爺ちゃんと私と介護
私が小学校2年生の頃
私の爺ちゃんはボケた。
何度も同じ話をし、
かってに人の部屋に入り、
風呂場を覗いたりした。
そして、家の周りを徘徊して、
近所の人が発見し連れ帰ってくれたりした。
被害妄想も強くなり、
怒る事が多くなった。
私は、何度も同じ話しを聞くのが面倒くさくなった
覗かれるのが嫌になった私たちは、
部屋や風呂場に鍵をつけた。
徘徊するのを防ぐために、親達は
爺ちゃんを外に出さないようにした。
そして、
私はいつのまにか爺ちゃんの存在を気にかけなくなった。
小学校4年生の時、
授業中に、私は突然職員室に呼び出された。
そして、“お爺ちゃんが死んだ”と知らされた。
病院に向かうと、
ベッドの上に、尿毒症で(おしっこが出ない状態)
身体がパンパンになったお爺ちゃんが横たわっていた。
しばらくの間、お爺ちゃんと話しをした記憶がなかった。
家に帰って、
私は、1人屋根の上に登った。
練馬区の端にある私の実家は、
平屋の比較的広い一軒家であった。
屋根の上に登ることができて、
そこが私の遊び場だった。
おもちゃを隠したり、
凧揚げをしたり、
星を観察したり、
豊島園の花火等を遠目に眺たり、
赤とんぼの群れが移動するのを見ていた。
その遊び場で私は泣いた。
自分がお爺ちゃんに対して取った態度を
子供ながらに後悔したのだ。
“死を間近にしたお爺ちゃんを邪魔ものにした”
自分がこの世に生まれたのは、
お爺ちゃんがいたお陰なのに
その頃、既に医師になりたいと思っていた私は、
自分がそれに相応しくないと思った。
そして、
二度とこのような過ちをしてはならないと思った。
続く…。
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