私が高校生のとき、
私の婆ちゃんはボケ始めた。
私の婆ちゃんは、お茶とお花の家元であった。
その家元を引退して、まもなくボケ始めたのだ。
その後、私は医学部に入り1人生活をはじめた。
帰省する度に、婆ちゃんのボケは進んでいた。
常に、着物を来て矍鑠(かくしゃく)としていた
婆ちゃんであったが、もう見る影もなかった。
廊下に便が落ちていることもあるらしかった。
たまに帰った私は
よく婆ちゃんを散歩につれだした。
爺ちゃんの件で同じ過ちは犯さないと誓った私は、
なるべく婆ちゃんを人間的に扱いたかったのだ。
婆ちゃんを散歩に連れ出した時、
私は良く婆ちゃんに
道端に咲いている花の名前を尋ねた。
婆ちゃんは、小さな声で正確に答えた。
ボケても、花の名前だけは覚えていた。
私は、
お茶とお花に関する事を婆ちゃんにやらせれば
ボケの進行を防げるのではないかと考えていた。
そんな時、
婆ちゃんが介護施設に行く事が決まった。
私は、
自分の両親が婆ちゃんを見捨てるような気がして
腹が立った。
そして、自分の母親に食って掛かった。
私の母親は、泣きながら私にいった。
“私がいままでどんなに辛い思いをしたか、
知りもしないくせに!“
“無責任な事をいわないで!”
母親が私を怒鳴ったのは、人生で二度だけだった。
この時と、
私が小学5年の時に婆ちゃんのヘソクリの茶筒から
お金を盗んだときだ。
ゲーセンでゲームをするために。
私が母親を責めて以来、
私は母親との間に距離を感じた。
母親は、少し殻に閉じこもったようだ。
実は、婆ちゃんの家元を継いだのは私の母親である。
私が想像し得ない苦労や争いがあったようだ。
私は、現実の厳しさを少し学んだ。
婆ちゃんが介護施設に入ったあと、
私は、あまり婆ちゃんとの接点がなくなった。
しばらくして、婆ちゃんが死んだ。
私は、またしても何も出来なかった、
というよりしなかった。
私は、またしても自分への失望を感じた。
続く…。
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